私が大井競馬場・増山ホースクリニックに就職した頃、午後の仕事をほとんどしない(?)ベテランの厩務員さんがいました。
厩務員さんの午後の仕事というと、担当馬の手入れ・馬体のケア・馬房掃除・飼い葉作りなどがあります。ですが、その厩務員さんは馬房掃除と飼い葉作りをするだけで、ほとんど担当馬に触れることはしていませんでした。
しかもその厩務員さんは、担当馬が上級クラスの馬だったり、重賞を勝ったりと、結果は間違いなく出している厩務員さんなのです。
以前にも述べた通り、『馬はなぜ走ったり、走らなかったりするのか?』を究明したかった私にとって、この厩務員さんがなぜ馬を走らせるのか?ということは、とても興味津々な案件でした。
朝の仕事がすごいのか、引き運動に何か秘密があるのか、あるいは飼い葉のやり方に何かコツがあるのか、など様々なことを自分なりに考えました。
しかし、本人に聞いてみても、『何も特別なことはしていない。』としか言わないのです。さらに、同僚の方に聞いてみても、朝の仕事も特別何かしているようには見えない、むしろしていない、とのことなのです。
そんなある日、この厩務員さんの午後の仕事を見ていて、あることに気付きました。馬房掃除をしている際に、馬が捕獲されておらず(無口も付いていない)、馬房内で完全に自由に放たれていたのです。最初は『ん?』と思ったのですが、すぐにピンと来ました。
つまり、『何も特別なことはしていない。』というのが肝なのかもしれない、と考えました。この厩務員さんの担当馬は、もしかするとストレスフリー(ゼロではないと思いますが)なのかもしれない、ということです。
もちろん、必要なケアもありますので、何もしないことが必ずしもいいことだとは限りません。ただの仕事をしない人、と認識されてしまうこともあるかもしれません。
前置きがかなり長くなりましたが、私は『診療にかける時間は短ければ短いほどよい。』と考えています。
それは、馬たちが私たち獣医師に触れられている時間や、治療されている時間というのは、ストレスでしかないと思うからです。
もちろん、じっくりと時間をかけて診なければならない症例や、じっくりと時間をかけて診た方がよい場合もあります。疝痛時の大量補液や、吸入、電気鍼など、時間がかかるのはやむを得ない処置も例外的にあります。中には治療を全く苦にせず、むしろ喜んでいるかのような馬たちも存在するかもしれません。
しかし、そもそも馬という動物は、人間に触れられることを前提として生きているとは思えませんし、馬房内にずっと居ることだけでも相当なストレスがかかっているのではないかと思われます。
私は、なるべく迅速に診断し、なるべく迅速に処置して、スマートかつ最短な治癒を目指すよう、また、最小限の処置で最大限の効果を見込める治療を心掛けています。
『渋谷は来てパッと診たらすぐにいなくなる。』とか思われる方も、中にはいらっしゃるかもしれません。しかし、そこには私なりに思うところがあってのことなので、どうかご容赦いただければ幸いです(たまに長居することもありますが…)。
極論をいうならば、診療も馬を捕獲せずに行えばいいのでは?と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、さすがにそれでは厩務員さんや私たちが怪我をしてしまいますので、その点もどうかご容赦いただければと思います(笑)。
2022.1